甘粕正彦はダンディな男だったのだ。


最近、趣味で満洲関連の本を読んでいる。
歴史の楽しみ方にはいろんな側面があると思うのだが、やはり人物を中心に見ていくのが王道だろう。
満洲について調べていくと、魅力的なキャラがたくさん登場する。
ラストエンペラー・溥儀、天才戦略家・石原莞爾、影のフィクサー甘粕正彦、国際女優・李香蘭男装の麗人川島芳子、昭和の妖怪・岸信介などなど。
なかでも歴史の教科書に載るほどの有名人ながら、多様な経歴を持ち、理解するのに一筋縄ではいかない人物が甘粕正彦である。



歴史の教科書には関東大震災の混乱中、アナーキスト大杉栄を殺害した憲兵として登場する。
最初はオレ様の認識もその程度で、次にその名を認識したのは、ベルナルド・ベルトルッチの映画「ラスト・エンペラー」だった。

ラストエンペラー [DVD]

ラストエンペラー [DVD]

劇中で坂本龍一演じる甘粕は、侵略者としての日本を象徴する人物として描かれている。
溥儀を利用し、日本の覇権を画策する完全な悪役である。

ちなみにこの映画は映像が非常に美しく、オレ様も好きな作品だが、かなり脚色しているので史実とは異なる部分も多い。



甘粕大尉 (ちくま文庫)

甘粕大尉 (ちくま文庫)

甘粕正彦を知る上で、これほどの良書はいまのところ見当たらない。
客観的な立場で丹念に取材して執筆されている。


大杉栄殺害事件については謎が多い。
結果的に甘粕一人が罪を背負うことになるが、大杉を含む3名を署内で白昼堂々誰にも知られずに単独で犯行できるはずはなく、当時から軍の関与が指摘されていた。
本書では殺害の実行犯すら、甘粕以外の人物である可能性も示唆している。
しかし甘粕は一生を通じて、この事件を背負って生きていくことになる。


甘粕は出獄したあと、フランスで約1年半暮らしている。
この謎の時代についても、筆者は書簡などの少ない資料から解き明かしている。
そこではギャンブルに興じ、弟に金の無心の手紙を送るなど、その前後の時代の甘粕とは別人のような暮らしぶりが描かれている。


そして満洲時代。ここでは彼の多面性が顕著となる。
そのひとつは「昼の関東軍、夜の甘粕」といわれるほどのフィクサーとしての存在。
実際、満州国建国のために数々の謀略を実行している。
もうひとつは満映理事長として、文化不毛の地に芸術を花咲かせようとした文化人としての顔である。


本書を通じて筆者は、このいっけん複雑な人物の一生を通じて突き動かしていたのは、絶対的な天皇崇拝者であったことだとしている。
大杉事件で一人罪を被ったのも天皇のためであり、フランスで無為な時代を過ごしたのは天皇のために何もできない自分に絶望したからであり、満洲で謀略に明け暮れたのも全て天皇のためだったということである。
だから終戦を迎えて自殺したのは、彼としては当然の選択だったわけである。



幻のキネマ満映 甘粕正彦と活動屋群像 (平凡社ライブラリー)

幻のキネマ満映 甘粕正彦と活動屋群像 (平凡社ライブラリー)

内容は前に挙げた「甘粕大尉」と被る部分も多いが、この本では「映画人」としての甘粕を描いている。


山口淑子李香蘭)の著書でも触れられていたが、旧満映関係者の語る甘粕像はかなり魅力的な人物だったようだ。
カミソリのような合理的なビジネスマンである一方で、差別されていた中国人スタッフの待遇を改善したり、解雇された元社員の再就職の面倒を見るなど、細やかな配慮ができる人物だった。
国策会社である満映を通じて本気で満洲に文化芸術を根付かせようという気概を持っていたようで、映画のみにとどまらず、劇団や交響楽団を結成したりもした。
また彼自身は熱狂的な天皇崇拝者でありながら、本国で逮捕歴のある左翼活動家なども何人も雇用しており、目的のためには個人の思想は問わない超現実主義者でもあったようだ。



甘粕正彦は実は超がつくほど真面目な人物だったが、「大杉栄を殺害した猟奇的な犯罪者」という世間からの好奇の視線を常に感じながら半生を生きた人で、そのことが彼を複雑に見せているのかもしれない。